3月9日(土) 二子~溝の口 歴史ウォーク

講師:東原信行氏(大山街道ふるさと館 副館長)に行ってきました。

田園都市線 二子新地で9時30分集合し、スタートです。総勢40人結構な大人数となりました。

二子新地駅は、昭和52年まで「二子新地前」だったそうです。車掌さんの「次は~二子新地前~」という車内アナウンスが ふたごしんじまえ~(双子死んじまえ~)」と聞こえるということで 双子をもつ親御さんから抗議が殺到し、今の「二子新地」となったと言われています。

二子新地はかつて大山街道(矢倉沢往還。赤坂御門から渋谷、瀬田を経て二子で多摩川を渡り、足柄峠手前の矢倉沢関所に至る脇街道)の渡し場があった場所です。

多摩川の架橋は、江戸幕府防衛上の関係から東海道の主要街道といえども、永らく架橋が制限され、渡し船による渡河が続いていたそうです。

多摩川の土手での東原講師の説明

土手をあがった近くに岡本かの子の文学碑「誇り」

彫刻の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれ、「としとしにわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり」かの子の歌が刻まれていました。

平成の今の時代に物や金だけでない精神的な心の充実こそ必要ではないでしょうか。

わが「いのち」はいま華やいでいるだろうか磨いているだろうか。

と思っていると直ぐそばこんな看板が

二子新地に豚子新地?(笑)

二子新地に豚子新地?(笑)

二子新地に豚子新地?(笑)

えっ何?

トンカツ屋さんみたいです。

このネーミング面白い。

笑える。

やはり今は平成でした。(そろそろ終わりますけどね)

二子の川沿い(現在の二子神社~新二子橋)に芸者遊びができる、 置屋や割烹ができていたことから新地という俗名になりました。 

いわゆる遊郭的なものもあったようです。一大歓楽街でした。 

戦後のお客は橋を越えた映画の俳優(世田谷・砧の映画撮影所) が多かったようです

現在も残る二子新地の旅館

まるで昔に戻ったよう。

今でも営業をされています。

二子新地から溝の口まで大山街道を 歩きました。昔から続く飯島商店大釜口上 この釜こそは、あのNHKテレビ大河ドラマ「黄金の日々」に出演した根津甚八ふんする石河五右衛門を釜ゆでにした代物だそうです。

蔵造りの店、田中屋呉服店。釘は一つも使用していないとか。

大山街道の昔のようすを残した跡があちこちにみられました。

やがて溝口神社へ

口神社の創立年代は定かではありませんが、神社保存の棟札よれば、宝永5年(1709年)武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されております。江戸時代は神仏習合に よりまして、溝口村の鎮守・赤城大明神と称されておりました

本日の散策はいろいろありすぎて語りきれませんが、溝の口の駅のそばに大山街道の大きな看板がありました。

ほぼそれと同じコースでしたので参加されたみなさんで本日の歴史散策を振り返られたいかたは振り返ってみて下さい。

本日、参加していただいたみなさま参加していただいてありがとうございました。それから丁寧に説明していただいた東原講師、ほんとうにありがとうございました。

約3時間の歴史散策。二子新地から溝の口までの大山街道にはさまざまな歴史が刻まれていました。それと近代の文学や物語の歴史が多く残されていました。

二子新地から溝の口までの歴史散策はとても楽しい思い出となりました。参加されなかったみなさまも二子新地から溝の口までの歴史散策をされてみてはいかがですか。