◇ アンチエイジング講座と山田屋まんじゅう
神奈川県横浜市青葉区の荏田町でボランティアのアンチエイジング講座。
講座にアマノさんが、おまんじゅうを持って来てもらった。
講座には暖かいお茶と甘いおまんじゅうが最高の楽しみである。ほんとありがとたい。
アマノさんが「吉田茂が好きだった山田屋まん じゅうだよ!」と言ってきた。
「えっ!山田屋まんじゅう」
「あの、山田屋まんじゅう?」
私は愛媛県宇和島市の出身。
山田屋まんじゅうと言えば愛媛県の宇和町と直ぐピンと来る。
アマノさんに「あの山田屋まんじゅう?」かとまた、聞いてしまった。
愛媛県の宇和町のおまんじゅうが関東で知られているはずがないと思ったのだ。
アマノさん「吉田茂が好きだった山田屋まんじゅうだよ」。
さて、あの山田屋まんじゅうは吉田茂が好きだったのか?
アマノさんから手渡された山田屋まんじゅう
やはり、あの山田屋まんじゅうは愛媛県宇和町の山田屋まんじゅうだったのです。
◇吉田茂
吉田茂と言えば、言わずと知れた戦後の日本の総理大臣。
サンフランシスコ講和条約を締結し5度も総理大臣になった人。
しかも、いろんなエピソードを持った人。
こんなエピソードも有名。
マッカーサーに「GHQとはどういった言葉の略なのか」と質問したたことがありました。
マッカーサーに長々と説明をさせたあと、吉田はしれっと「なんだ。Go Home Quickly (とっとと帰りやがれ) の略かと思った」と言い放ちます。
つまり、GHQに対しての「早くアメリカに帰れ」という皮肉です。
マッカーサーは苦笑いしかできませんでした。
豪放磊落な人柄。
吉田茂は総理大臣に就任する前、外交官として活躍しており、その際に各国の様々な料理を口にしています。
また晩年には住み込みのコックを雇い、自宅で料理をさせたそうです。
吉田茂はそうとうな美食家。
しかしその反面、庶民的な食べ物を好む傾向もあったようです。
うむ、なんだか山田屋まんじゅうと近づいてきました。
◇山田屋まんじゅう
愛媛県・松山にある「山田屋」の山田屋まんじゅうも、吉田の好物でした。( 愛媛県宇和町が本店ですが工場は松山)
慶應3年(1867年)創業のまんじゅう専門店。
創業者髙辻源蔵氏が営んでいた商家にやってきた一人の巡礼者を手厚くもてなしたため、その巡礼者はお礼にと主にまんじゅうの造り方を教えたのだとか。
そのおいしさが評判をよび、創業者はその巡礼は宇和町にある山田薬師寺の山田薬師如来であったのだろうと信じ、屋号を「山田屋」として店を開いたのだとか。
包み紙の表面には小豆色で加賀梅鉢の家紋。
裏面には屋号”山田屋まんじゅう”の文字。
淡い小豆色をした一口サイズの小振りなおまんじゅう。
原材料は、小豆と砂糖、小麦粉とシンプル。
メインとなる小豆は、北海道十勝産。
毎年食味をした上で、「山田屋まんじゅう」に最良のものを選んで使用しているのだとか。
さらっとした食感で程よく甘い小豆餡。
餡が透けて見える程の薄い皮は餡と一体化しており違和感を感じることもない。
◇吉田茂と山田屋まんじゅう
山田屋まんじゅうは、もともと政界内でおいしいと評判になっていた品で、吉田も初めて口にしたときから虜になったようです。
政治家として活躍していた吉田の邸宅には、いつも多くの贈りものが届いており、山田屋まんじゅうも毎月贈られてきたといいます。
まんじゅうの送り主だった黒田節次郎という人の元には、吉田からお礼状が贈られました。
手紙には「毎度 御厚意ありがたく、おいしくいただきました」と記されており、簡潔に謝意が伝えられています。
また昭和42年に吉田が亡くなり国葬が開かれた際、霊前に供えられたのも山田屋まんじゅうでした。
吉田が山田屋まんじゅうを愛していた事実は、最後のお見送りで供えてあげようと思えるほど周囲の人々にも伝わっていたようです。
◇吉田茂と山田屋まんじゅう
なるほど、吉田茂の好んだ山田屋まんじゅう。
やっと吉田茂と山田屋まんじゅうが結びつきました。
それにしても、お茶を飲みながらまんじゅうを食べる。
こんなひと時こそ、最高の喜びを感じます。
まさに癒しの時間。
これこそがアンチエイジングなんて勝手なことを言いながら山田屋まんじゅうをあっと言うまに食べてしまいました。
吉田茂が好んだ山田屋まんじゅうと思って食べると美味しさも増すようです。
吉田茂のおかげかどうかは知りませんが、山田屋まんじゅうは今では全国で売り出しているようです。
みなさんも吉田茂が好んだ山田屋まんじゅうを一度は食べてみませんか。